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始めてみよう!わたしの星活。世界43か国145都市の星空を見てきた” 旅する星空解説員”佐々木さんが伝えたい「星に寄り添う暮らし」のススメ【中編】

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始めてみよう!わたしの星活。世界43か国145都市の星空を見てきた” 旅する星空解説員”佐々木さんが伝えたい「星に寄り添う暮らし」のススメ【中編】

“旅する星空解説員”の佐々木さんへのインタビュー中編。本篇は、自分の中にも大きな変化をもたらしたという世界一周星空の旅について伺います。

大きな不安より、ほんのちょっとだけ、好奇心が勝った

―世界中の星空を見に行くって、壮大で本当にすごいこと。不安はありましたでしょうか?

佐々木:もちろん。むしろ不安しかなかったです。(笑)まず、一番不安だったのは金銭面。ただ有難かったことに、世界一周にかかる費用を調べてみたら、自分の貯金でなんとか行けそうでした。それで金銭面での不安は解決。もう一つの大きな不安は、世界一周から帰ってきてからのこと。果たして仕事はあるのか、という不安です。本当に色々な不安が頭をよぎりました。でも、ほんのちょっとだけ、やってみたい、という気持ちが勝ったんです。

―そうなんですね。それまでに海外旅行をしたことはありましたか?

佐々木:いや、実はそれまで全然してこなかったです笑。それまでの海外旅行の思い出は、大学の卒業旅行で、しかもあらかじめ工程が組まれているツアーでフィンランドに行ったくらいです。あとは、会社を辞める2年ほど前ですが、インドから中国を抜けて奄美大島で見ることができる皆既日食があって、この皆既日食を見に、中国へ格安ツアーで行きました。

せいぜいこのくらいで、自分で宿や航空券を取って海外に行くなんて初めてでした。行きたいところに到着できるかどうか、すべてが自分の采配次第で、自由ですが、ある意味これもまた不安でした。(笑)

―そのような不安を抱えつつも、一歩踏み出したのは本当にすごいと思います。やってみたいという気持ちが一番だったのですね。

佐々木:そうですね、出発前に、例えば一年後、「今、インドで星を見てます」ってSNSとかで言えたら面白いかなぁなんて、そんなことも想像していました。でも本当に、出発直前も、出発中も、現地に着いても一向に不安なままでした。

―旅の期間は1年半とのことでしたが、どのくらいから不安というのが消えていきましたか?

佐々木:2~3か月ほどで、ある程度慣れてきましたね。その都度トラブルはありましが、不安というのはなくなってきました。なくなってきたというか不安やトラブルに慣れてきたって感じですね。

旅して変化したこと~自分というものを認識。それは、ちっぽけだけど、とっても重い~

―1年半世界を旅して、自分の中でどういう変化がありましたか?

佐々木:変化はたくさんあったのですが、一番大きく変わったと思うのは、世界が身近に感じられるようになったことです。

イギリスだったりインドだったり地球の裏側のブラジルだったり…世界の国々については、テレビのニュースでしか見ることがなく、今まで何か起きても遠い存在でそこまで意識はしていませんでしたが、旅したことで身近に感じられるようになりました。同時に、宗教や戦争、アフリカの飢餓の問題など、それまで遠かった世界の問題も、すごく身近に感じられるようになりました。

例えば、帰国した後に起こったネパールでの大地震(2015年)のニュースを見た時はとても心配になりました。出会ったあの人は大丈夫かな、お世話になったあの宿大丈夫かな、とか。

今でも世界は本当に広いと実感しています。帰ってきてからも逆に行きたい場所がどんどん増えて。人生の残り時間すべてを使っても周りきれないだろうなと感じます。ただ、物理的には、世界は広くて遠い場所ですが、今の自分の中では、「世界は広い、でも遠い場所ではないんだ」って思うようになりました。

あともう一つ大きく変わったと感じるのは、“自分”への理解がすごく深まったこと。世界を旅したというと良く聞くのは、カルチャーショックを受けて自分が変わるとか、世界にはたくさんの価値観があることが分かって自分の世界が広がったという話。

おそらく、そういうことを特に強く受けるのは、多感な時期の20代前半に旅をした人なんじゃないかと思います。

ただ、僕が旅に出たのは社会人として働き、日本の安全安心で、ある意味予定調和な生活をしばらく体験したあとの、30歳目前でした。そうすると、生き方や考え方の基盤がある程度できていたと思うので、自分の暮らしてきた世界と大きく異なった価値観を見ても「そういう世界もあるんだな」と受け止めることができる。だから、カルチャーショックというほどの衝撃はあまり受けなかったのですが、でもやっぱり今までの生活では予測できなかったような振れ幅でのトラブルがたくさん起きるんです。

例えば執拗なほどタクシーへの勧誘を受けたり、物乞いからの施しを求める声を受けたり、時に罵声を浴びせられたり、気を抜くと荷物を取られそうになったり。

その度に自分の感情や価値観などが、日々試されて、自分の感情も大きく揺れ動いたのですが、

その中でも、自分はこんなことで楽しいんだ、嬉しいんだ、喜ぶんだ、また逆にこんなことで悲しむんだ、こんなことで腹立つんだとか、そういう価値観の根本や基準はあまり変わらないんだな、と感じたんです。

自分が、イライラするときは日本でも似たような状況でイライラしたし、喜ぶときは同じようなことで喜んだし。

世界が与えてくれる様々な出来事は、日本にいるとき以上に“価値観や感情の振れ幅”を超えるものばかりでしたが、その状況でもそうだったから、改めて自分は「こういう人間なんだな」って「腹落ち」した感じでした。だから自分がより深く濃くなったように思いましたね。

昔は社会生活する中で、自分はこう思っているけど、「これって社会人的におかしいのかな」とか、「自分はわがままなんじゃないか」、と不安に思うことがあったのですが、今は、「社会的にはそうでも自分はこうだから」って自信もって意見を言えるようになりました。自分という人間を、少し信じられるようになったのだと思います。もちろん日本で生活していくならば、日本らしいマナーや最低限人に迷惑はかけないことは意識しますけどね(笑)。でも、それも“自分”という内側をわかったからこそ、“社会”という外側をきちんと受け止め対応できるようになったと思います。

―たしかに。旅っていうと様々な考えや価値観に直面して、自分は狭い価値観しか持ってなかった。とてもちっぽけな存在だったんだ。って感じることが多いと思いますが、その中で逆に、自分というものがはっきり分かるっていうことも、確かにあるのですね。

佐々木:自分は世界や宇宙に比べるとちっぽけな存在なのは変わらないのですが、ちっぽけだからって、軽いわけではない。ちっぽけだけど、ちゃんと、重さがある。宇宙で例えるなら小さくても密度が高いブラックホールのような(笑)僕だけでなくみんな一人ひとりがそうだと思います。小さいけど、絶対に必要な、ほんとに存在感のある小さな存在だと思います。

世界で学んだことが、今に生きている

―世界で学んだことが、今の土台となっているんですね。

佐々木:そうですね。自分を信じられるようになると、他人との違いも受け入れられるようになる気がします。

―なるほど。プラネタリウムの解説員はこうじゃないといけないっていう固定観念も破られたのではないでしょうか。

佐々木:そうですね。多分、不安なままだったら、ああいう解説をしないといけないんじゃないか、とか、自分のやりたい解説はおかしいのかなって思ってしまい、似たり寄ったりな解説員になってしまっていたと思います。

やはり、その人が突き詰めている姿を羨ましがって、それを理想として寄っていっても、自分には適わないです。世界には色々な人がいるように、もっと広い視野でみて、この人はこうだけど、自分はこうだなといった感じにバランスよく考えられるようになりましたね。一方で自分を貫きつつも、他の人の尊敬できる部分は、取り入れられるのであれば取り入れたいと思っています。そういうふうに、物事を客観的にみられるようになりました。

世界でみる星空と日本で見る星空の違い

―世界で見る星も、日本で見る星も、星は星で一緒だと思います。ある意味、世界共通言語。ただ、そういった中でも、世界で見る星と日本で見る星に違いはありますか?

佐々木:そうですね。星には、まさに今おっしゃっていただいた、二つの面でいいところがあります。

まず違いはというと、大きく北半球、南半球から見える星座が違うということ。北半球と南半球で見られる星の位置はそれぞれ変わってきます。たとえば、北極星が見える位置が高くなったり低くなったりしますし、北極星の位置を見て、自分はどこにいるかが分かるようになります。

また、それに伴って他の星の位置も変わって、それはそのまま星座の見える位置の変化にもつながっていきます。面白いのは北半球と南半球の境目、赤道付近では全ての星座を見ることができるんです。

星は星で、世界のどこにでも輝いていますが、そういった星の小さな変化までわかると、星を見上げるのがもっと楽しくなってきます。

星を見上げるということは、世界各地の人が昔からしてきたことで、古代から伝わる神話も残っています。それだけ人のよりどころになっていたということだと思うんです。旅をしていると、初めて行く場所、初めて出会うこと、初めて味わうことなど、”初めて” だらけで、だからこその不安が付き物ですが、そんなときでも心の安定をもたらしてくれるのが、星を見上げるという行為でした。そしてそれは誰でも、世界中のどこでもできる同じ行為です。

変わった環境の中での“変わらないもの“は安心できます。どのような場所に行っても星は輝いているから、どんな場所でも星を見上げることができます。

旅をしていて思ったのですが、世界に行っても、僕は星を見上げていました。やっていることは変わらないなって。それが安心の源。いつも星は見守ってくれているんだって感じました。

変わらない星も素敵だし、変わる星も面白い。両極端の要素がある「星」という存在はすごく魅力的だと思います。

南半球でみた星空の写真@ニュージーランド・テカポPhoto by佐々木勇太

―星は奥が深いですね。では、見慣れた日本で見る星と、世界で見る星の感じ方の部分で何か違いはありますか?

佐々木:まず周りの風景が日本と全然違います。世界でみる街は、その国特有の建築様式も相まって、独特な雰囲気がありますよね。花や木などの植物も地域によって違います。例えば、中東などでよく目にする宗教施設のモスクと見る星空は、日本にはない美しさを感じました。ちょうど訪れたとき、モスクと月が並んでいましたが、まるで一つの絵画のように見えましたね。日本で普段見る身近な月とはまた違った趣を感じました。

もう一つ、各国の特徴が出て面白いと思うのは、神話です。例えば月の神話。日本ではお月見として親しまれていますが、オーストラリアの先住民であるアボリジニの間では、「食べ物を粗末にしてはいけない」という生活の戒めが月に残されているとされています。そういった神話も知った上で、改めて月を見上げるとまた違って感じられて面白いんです。

レー王宮と星空@インド・レーPhoto by佐々木勇太
ペトラ遺跡 Photo by佐々木勇太

一歩外に出ると、そこは宇宙

―たしかにそうですね。同じ星なのに、同じ星座なのに、語り継がれている神話も違う。それぞれの地域の文化が反映されているのかもしれませんね。

これまで訪れた地域の中で、特に印象に残っている場所はありますか?

佐々木:そうですね、たくさんあるのですが、例えばモンゴル。しかもモンゴルは日本から近いのに、全くの別世界のように素晴らしい景色に出会えます。

“星空”という言葉は、”見上げる”という行動とセットのように使われていますが、モンゴルにはそれが当てはまりません。というのも、モンゴルには大草原が広がっていて、それ以外何もありません。すると地平線まで空となり、目の前を見ただけで空が広がっているんです。

実際、モンゴルに旅で訪れた際、昼間、草原を散歩し、夕方くらいからゲル(遊牧民が建てる移動式住居)の中で休んでいました。そのまま時間が経ち、そろそろ夜になったなぁと思いドアを開けたら、なんと目の前が、満天の星だったんです。ドア越しに見る星空は、空がドアの形に切り取られた絵画のようでした。日本であれば、ドアを開けると当然のように家やビルなど多くの建物が建っていて、空が見えないことが多いと思います。だからこそ“見上げる”という行動をしないと空が見えないわけですが、モンゴルはドアを開けたら、すぐ目の前に空があります。見上げなくても、ただ真っすぐ見るだけで星が目に飛び込んでくるんです。

そしてドアをくぐり抜けると、そこはまるで巨大なプラネタリウム。自分が星空に包まれたように感じられるんです。それはまるで宇宙のようでもありました。

遊牧民の見上げる星空@モンゴル・ウランバートル Photo by佐々木勇太

―すごい!聞いているだけで感動します!まるで自分が宇宙と一体化しているみたいですね。日本ではなかなかできない体験です。そうなるとモンゴルは、星を見上げるって言わないのかもしれませんね。”星を見る”って感覚でしょうね。

佐々木:確かにそうかも。それくらい目の前に当たり前に見えています。そしてそのモンゴルのさらに上にいくのがウユニ塩湖。ウユニ塩湖は雨季に雨が降ると、塩の大地に水が溜まります。ちょうど大きな水たまりのようになるのですが、それが空を反射して、自分がまるで空に浮いているような風景になるんです。なので夜になれば、湖に今度は星が反射します。360度星が見えて、本当に宇宙にいるような感覚になります。ウユニ塩湖は南米のボリビアという国にあり、日本から行くには距離的にも金額的にも少しハードルが高いですが、一生に一回は見にいってほしいと思うほど、行く価値がある場所です。

それに対して、モンゴルはウユニ塩湖に比べ日本から比較的行きやすいです。羽田や成田からですと、首都のウランバートルまで5~6時間で行けてしまいます。たとえば、私がガイドを務めている星空ツアーですと、朝、日本の自宅から出発して、昼くらいの飛行機に乗ってウランバートルについても、1~2時間で草原の真ん中に着くことができるので、その日の夜には満天の星をみることができちゃいます。(都内近郊にお住まいの方の場合。)

ウユニ塩湖@ボリビア Photo by佐々木勇太

―朝、日本にいたはずなのに、夜には宇宙にいる!?って感じですね。

佐々木:そうですね、夜には大草原の中で満天の星に包まれることができます。建物も一切なく、電灯もないので、当然のように真っ暗です。

―モンゴルの人たちにとって、満天の星はあって当たり前の存在なのでしょうか。

佐々木:そうですね。ただ、満天の星が当たり前で、身近過ぎて星を意識してみるということはないという話を耳にしたことがあります。

反対に都会で育ったモンゴルの人もいて、その人たちにとっては、僕たちと同じ感覚の人もいると聞きます。街の中では普段から満天の星は見ることができないし、そもそも星を見上げないという人も多いかもしれませんね。

ちなみに余談ですが、遊牧民の生活の近代化の話で面白かったのが、最近は遊牧民の中でも携帯が比較的普及していて、それでも草原だと電波が入らないことも多いので、電波がほしいときには、草原から街に行くまでの途中にある小さな商店までいったりすることも。面白かったのが、ちょっと電話してくるって言って、帰ってこないなぁと思ったら、その人がどこにもいなくて、しばらくして帰ってきて聞いてみたら、「ここでは電波が入らないから、電波が入る丘まで行ってきた」ということ。ただ、その丘をどこか聞いてみてみたら、結構遠かったりして、その人も馬で行っていたりとかして(笑)。とにかくスケールが圧倒的に日本と違うのが、モンゴルのすごいところだと思います。

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