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『集めて編む』-まちつくり所沢 代表理事・平山さんが考える街づくりのカタチ

2020年10月21日。ところざわサクラタウン(埼玉県所沢市)にて誕生した「武蔵野樹林カフェ」。ここを運営しているのは一般社団法人まちつくり所沢の代表理事・平山毅さんです。平山さんは、15年の時を経て、ご自身がかねてから手掛けたいと思っていた街づくり事業を開花させ、大きな第一歩を踏み出しました。もとは雑誌編集者としてキャリアをスタートさせた平山さんが、今、なぜ、街づくりに関わる事業をされているのか。今回は、平山さんご自身のルーツから、現在のカフェの運営のことまで、さらに、平山さんが考える”街づくり”などについてお話を伺いします。

平山毅さん
武蔵野樹林カフェ外観
武蔵野樹林カフェ店内の様子

はじまり。所沢との出会い。

―本日はお忙しいところインタビューを受けていただき誠にありがとうございます。とても落ち着く、素敵なカフェですね。このような場所で取材できて光栄です。本日はどうぞよろしくお願い致します。
では早速ですが、最初に平山さんのお仕事内容についてお伺いします。今はどのようなことをされているのでしょうか。

平山さん:一般社団法人まちつくり所沢というまちづくり会社を設立しまして、「武蔵野樹林カフェ」を運営しております。ここでは地域の特産品を味わえるメニューをお楽しみいただけます。また、地元の特産品を買える”トコロザワデパート”という物販コーナーも併設しております。
“トコロザワデパート”は、30種類ほどの狭山茶をメインとして、それ以外にも所沢の深井醤油などが並んでいます。地域の特産品が勢ぞろいしたデパート、をコンセプトとさせていただいております。

物販コーナー”トコロザワデパート”
物販コーナー”トコロザワデパート”
物販コーナー”トコロザワデパート”

ーまちつくり所沢では、武蔵野樹林カフェ以外にも何かやられているのでしょうか。

平山さん:まちつくり所沢は、2年程前に理事の吉村英二(野老社中株式会社 代表)と二人で作ったまちづくり会社でして、イベントなどをやってはいるのですが実質これが初めての大きな事業です。

―そうなんですね。では、今の仕事を始めたきっかけを教えてください。まずは、平山さんご自身のルーツからお聞かせください。

平山さん:私は実は、所沢生まれではなく、横浜生まれなんです。小さい頃もあざみ野あたりの郊外のニュータウンで育ちました。
仕事に関しては、もともとモノづくりやコンテンツづくりが大好きで、大学を出てすぐは出版業界に就職し、雑誌の編集者として3年程働いていました。西武グループさんともご縁がありセゾングループの社内報を制作したり、週刊プレイボーイという青年誌のニュース記者を担当したりしていました。
そんな中で当時、宮崎駿監督の『「もののけ姫」はこうして生まれた。』というドキュメンタリー番組があり、それにすごく感動してしまって。そこで調べたところ名作「となりのトトロ」の舞台が所沢だと。宮崎監督ご自身も所沢にお住まいだと知りました。それで、所沢に引っ越そうと思ったんです笑。それが所沢とのご縁。宮崎駿監督がきっかけです。
当時僕が住んでいたのは実家のある川崎市。そこは都心が近くて便利なのですが、特に郷土の名産・名物があるわけでもなくて。そんなとき宮崎駿監督でたまたま所沢を知って、魅力を感じ、2000年に引っ越してきました。
そしてこの所沢で、2006年にジモネットという会社を起業しました。ジモネットは、埼玉県所沢市を中心にウェブサイトの制作、システム開発、コンサルティング、パソコン関連業務を行う総合IT企業で、15年間やってきましたが、そのうちの大半はホームページの制作をやってきました。たとえば、所沢プロペ商店街のホームページや、駅前のワルツビルという商業施設のホームページ、また商工会議所青年部のホームページです。ただ、そういった地域の団体や会社のホームページを作るようになり、制作だけではなく街バルのようなイベントを企画したり、狭山茶の活性化プロジェクトなどを行うようになり、だんだんと街づくりに関わるにようになったんです。

インターネットへの転業と、所沢での起業。

―すごいですね。どういうきっかけで、所沢でそのような会社を立ち上げようと思ったのでしょうか?

平山さん: 大学卒業後、出版業界に入って1年目に週刊プレイボーイの記者になれたのですが、そのときのギャラを含めた待遇がが頂点でした。その後、景気も悪くなり、経費削減も叫ばれるようになり、楽しくない話ばっかり増えてきて。その当時ちょうど、インターネットが台頭してきました。1999年にiモードというサービスが登場し、iモードの生みの親と呼ばれる方を取材する機会がありまして。取材しているうちにその方にとても感銘を受け、これからはインターネットの時代だ!と確信し、インターネット業界に転業しました。
 その後伊藤忠商事という商社に入り、そこで3年、モバイルインターネットビジネスをやりました。そこでビジネスというものをちょっとかじりました。やっぱり、インターネットは先行者メリット。先に動いてジャンルを確立した人が勝っていく世界。たとえばUberEatsやAmazonなど、最初にそういうものを作った人がシェアを独占してしまいます。なので、ビジネスとして空いている領域はほとんどありませんでした。では、自分でビジネスをやろうとしたら、どういうことをやればいいのか。そのときに思いついたのは、”地域”だったんです。地域っていうのは、日本全国津々浦々にありますし、その土地ならではの問題や課題がたくさん転がっていて。それでいてニッチな業界。そこで、自分が住んでいる所沢も商売として成り立つのではないかと思いました。それが所沢で起業したきっかけです。

街づくりへの課題―サステナビリティが必要

―なるほど。当時地域に着目したのはすごいですね!カフェを始めたいと思ったきっかけは何でしょうか?

平山さん:街づくりに関わるようになり、最初に手掛けたのは、所属する所沢商工会議所青年部の事業として行った”里芋焼酎のカクテルマップ”です。所沢は里芋が特産なので、里芋焼酎「恋も咲くところ」が作られたたのですが、作ったからには広めないといけません。そこで、カクテルのような若い人でも飲めるようなものを各店舗で作ってもらえれば広まるのではないと思い、”里芋焼酎のカクテルマップ”を作りました。それが15年ほど前ですね。
次に、手掛けたのは、街バルイベント”ソラバル”です。ソラバルは、所沢の飲食店の方々と協力して企画した所沢の夏の大イベントです。所沢の美味しいお店をハシゴしながら食べ歩き、飲み歩き、街歩きを楽しんでいただきます。
その後、平成28年度・29年度の所沢商工会議所青年部の事業から立ち上がった狭山茶による地域活性化プロジェクト「COOL SAYAMA TEAプロジェクト」を手がけました。
やっていく中で気づいたのは、呼びかけるだけでは街は変わらないですし、イベントは単発の盛り上がりの一過性で終わってしまいます。むしろ消耗の方が大きい。そして、そもそも街づくりとなると、ボランティアのような感じで、タダ働きが多くなってしまうんです。
だから、しっかりと事業としてまちづくりを行い、持続可能性をつくっていうことが大事。これは、今回のテーマでもあるのですが、サステナビリティが必要かなと思いました。たとえば、雇用も一つのサステナビリティですし、モノが売れて動いたりとか、材料の発注がかかるというのも一つのサステナビリティです。そのように、ヒト・コト・モノをとにかく動かしていくことが大事だと思い、お店を出そうと考えました。お店を出すと、活動としても認知度が上がりますし、その場所を目指して来る人も出てきますし、モノが動き人の雇用も生まれます。
実はお店を出すことは2~3年くらい前から考えていて。そんな流れの中で武蔵野樹林カフェのお話をいただきました。地域活性化につながりますし、関わった狭山茶をさらに盛り上げることもできますので、ぜひ、と。

きっかけは、仲良くなってほしい、という想い。

―武蔵野樹林カフェはどのような経緯で運営することになったのでしょうか。

平山さん:実は3年以上前に、KADOKAWAさんがここの用地を取得して開発するというのは分かっていました。しかし、せっかく大きな企業が社運をかけ所沢に本社を置き、集客施設をつくる、そしてそれを、市や地元地域社会と協働で、誰もが「住んでみたい」「訪れてみたい」地域づくり「COOL JAPAN FOREST 構想」として進めると言っているのに、受け入れる地元の側が今ひとつピンと来ておらず、動きが鈍かったのです。地元の事業者の関心は、工事関係の発注やさまざまな調達、または自分の地域団体やイベントなどへの協賛など、「KADOKAWAが我々に何をしてくれるか」ばかりに目が向き、「KADOKAWAとどのような関係を創っていくか」「我々がKADOKAWAに何をしてあげられるか」を考えている人はほとんどいませんでした。このままでは、あまり有機的・発展的な関係を築けてこなかった西武ライオンズや西武鉄道の二の舞になってしまうという危機感を持っていました。
 そこでまず、「とくかくKADOKAWAの社員さんたちに所沢を知ってもらおうではないか」と、所沢を知っていただくために半日かけて所沢を一周していただく「KADOKAWAツアーズ」を提案させていただきました。今一緒にまちづくり会社を共同経営している吉村と一緒に、KADOKAWAの担当者さんをイベント会場で捕まえるなどしてアポイントを取り、直談判しました。
 これが、このカフェを運営するきっかけですね。KADOKAWAツアーでは、KADOKAWAの社員さんに、所沢のことを知っていただくというのに加えて、「仲良くなる」というもうひとつの目的も提案させていただいていて。ツアーの最後に所沢の居酒屋で宴会をやりました。飲み会では、所沢の方20名とKADOKAWAの方20名が交流するというのをやらせていただきました。

―実行力がすごいですね。もともと、平山さんは所沢のそういったお店や企業の方々と知り合いだったのでしょうか?

平山さん:ソラバルのイベントや、狭山茶プロジェクトなどで知り合いになりました。今のカフェで狭山茶を提供できているのは、これまでのプロジェクトでのお茶園さんのつながりがあったからです。

―これまでの色々な種まきが上手くつながって、今に至るのですね。

平山さん:苦労しましたねぇ笑。

街づくりの根本にあるものー『集めて編む』

―なぜ、街づくりに興味を持ったのでしょうか。

平山さん:実は、最初から街づくりをやりたかったんです。先ほどお伝えしましたジモネットという私の会社ですが、その名前の意味は、地元のインターネットという意味ですが、実はもう一つ意味を込めていまして、それは地元のネットワークづくり、です。つまり、地元のヒト・コト・モノをネットワーク化するというコンセプトがありました。これは編集者である僕のコンセプトでもあるんです。編集って、「集めて編む」と書きますが、これは、ネットワークを意味するんじゃないかなと思っていて。15年くらい前から考えていました。

―そうなんですね。街づくりの仕事をしていく上で、大切にされているポイント、力を入れていることとか、ありますか?

平山さん:オリジナリティですかね。アイディアというか。あとは、“なるほど!”と思ってもらうようなサービス設計を心がけています。
街のことを知ってもらうためには、なるほど!と思ってもらえる体験が必要です。
たとえば、カフェで提供している狭山茶のコースターにシリアルナンバーがついています。このシリアルナンバーはオープンしてから、あなたが飲む狭山茶が何杯目です、というのを示してあります。今回の場合、995なので995杯目ということですね。このように、オープンが2020年10月21日なのですが、それ以来何人の方が狭山茶を飲まれたかをカウントしております。もちろん、運営側が来客数をカウントするという目的もありますが、その番号というのはお客様固有のものなので、この日この一杯が特別な一杯で、特別な時間を過ごしていただければという想いがあります。
また、狭山茶を使った肉まんは、この地域の特産が狭山茶で、だから、外に抹茶を使っていて、中にほうじ茶を使っているとご説明すれば、なるほど!ってなりますよね。また小籠包と一緒に提供している醤油は、所沢で150年続いている深谷醤油です。それと、カフェに茶釜があるのですが、急須でお代わりができる仕組みです。文化の体験ですね。
このように、所沢を知っていただき、味わっていただき、体験していただくメニューにしています。その方が印象に残りますよね。最後は買っていただく、までいくのが理想です。イベントでB級グルメを作るだけでは街は変わりません。

シリアルナンバー入りコースター
狭山茶を使用した肉まん
急須でお代わり可能

―なるほど!は記憶に残りますからね。食べ物がきっかけで街を知っていくのは面白いと思います。そういった”体験”は、カフェの特色でもありますね。

平山さん:そうですね。コンセプトは「武蔵野の物語をめぐるお店」です。狭山茶が三大銘茶で特産品であるというストーリーを分かっていただきたいと思っています。加えて、実は紅茶も作っていますとか、お茶だけでなく市内にはコーヒーの焙煎所もたくさんあって、それらを月替わりに使っています、とか。たとえば今月はnegombo33という有名なカレーのお店があるのですが、そこのコーヒーを使っています。そういった地域の特産品などを使ったメニューは特色の一つですね。

―月替わりだと、今月はなんだろ、って気になって来られる人も多くなりそうですね。リピーターも増えそうです。

平山さん:まさにそうですね。これだけの数のお茶園さんがあるんだってことを知っていただいて、本日のお茶を気に入っていただければ、併設のトコロザワデパートで買っていただくこともできます。
―「武蔵野の物語」はどうやって伝えていますか?

平山さん:まずメニューで味わっていただき、知っていただく。あとは店員が、本日の狭山茶は〇〇です、と一言添えてご提供させていただく。小籠包を出すときは、ところざわの深谷醤油でお召し上がりください、一言と添えてご提供させていただく、など。地道に来た方にお伝えできればと思っています。本当はもう少し色々やっていきたくて、たとえば冊子を作って配ってもいいなぁと思っています。

コミュニティスペースを作りたい

―今後はどのようなことをしていきたいですか?

平山さん:”トコロザワデパート”の物販をしっかり確立させて、もう少しコンセプトを煮詰めて面白い展開をしたいと考えています。
たとえば、“デパート(depart)”なので旅の出発点っていう意味も込めているのですが、スタンプラリーもやりたいと思っています。
もう一つは、郊外の住宅街の中にお店を出したいなと。それはここと同じようなコンセプトで、狭山茶と地ビールなど地域の特産が味わえるようなカフェを併設した、コミュニティスペースを作りたいなと考えています。これが次の目標です。あとはリノベーションなど、大きな事業も手掛けていけたらと思っています。

―コミュニティスペースはいいですね。どういうコミュニティスペースを作りたいですか?

平山さん:ニュータウンで色々な課題があると思うのですが、そこが動き出すような、そのような課題解決のために動き出すようなコミュニティカフェを作りたいと思っています。
それと、そこの街で雇用を生み出せるようにはしたいですね。
実は今ダイレクトでやりたいことが、少子高齢化を止めること。そこに繋がるような明るい話がでるような、そんなコミュニティが生まれていくような起点を作りたいですね。

未来へのバトン

―10年後50年後どのような街になっているといいですか?

平山さん:濁りのない、クリアな明るい未来を作りたいです。”まちつくり”、と一般社団法人の名称をつけさせていただきましたけど、まち「つくり」なんですよ。まちつくり所沢。づくり、ではないんです。「街づくり○○」みたいなまちづくり会社が全国に多いんですよね。そのような大勢と一緒ではなくて差別化したくて。ちょっとひねって、まちつくり。濁点がなく、未来が明るい、それと「まちつく」というかわいい愛称で覚えてほしいです。
また、狭山茶も力強く存続させたいですね。次の世代に引き継がせるには、子どもに継いでもらえるような環境を作らないといけないと思うんですよ。たとえば、街のとんかつ屋さんとかって、結構高齢の方がやっていて、後継ぎがいないんだなってお店が多い。農業やお茶栽培とかもそうなってしまう可能性があります。そうならないように、安心して、自分の子どもに継がせられるようにするは、売り上げがないとダメ。売上を作るために努力しないといけません。
なので、次の世代にバトンが引き継がれていく街になっていてほしいですし、それを目指したいです。

―なるほど。そこは重要なポイントですね。では、平山さんにとって街づくりとは何でしょうか?

平山さん:地域のヒト・コト・モノを集めて編む。すなわち、地域を編集することです。

―出版業界に入った当時の平山さんのルーツにつながりますね。

平山さん:そうですね。カフェのメニュー作りもコンテンツ作りの一つかなと思います。提供の仕方もそうです。一つの企画です。今のカフェでは、過去に学んだ企画力が活かされているんじゃないかなと思っています。

―最後にもう一つ。今後、どのようなことを伝えていきたいでしょうか?

平山さん:カフェでは、所沢の文化を伝えていきたい。たとえば、最近は急須でお茶を飲む人が少ないので、それを増やしていきたいなとか。
まちつくり会社としては、街をもっと、大きく変えるような大きいプロジェクトをやって、所沢はこんなに変わったすごい街だ、とういことを伝えられるようにしていきたいです。そして常に、サステナビリティをもってやりたいですね。

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